「道灌」のちょっとした発見
先代柳家小さん師匠の「道灌」を聴いていて、ちょっと「おや」っと思うことがありました。
「道灌」は柳家の一門では最初に教わる噺だそうで(「五代目小さん芸語録」の中で、小里ん師匠は『ウチは「道灌」か「二人旅」が最初です』と語っています)、寄席でもよくかかります。
普通は「都々逸なんてえところを見ると、お前も歌道に暗えな」「角が暗えから提灯借りに来た」というのがサゲですが、小さん師匠のはちょとだけ違っています。
どう違うのかというと、「お前もよっぽど歌道に暗えな」のあと、「暗えから提灯借りに来た」と、角という言葉を入れないのです。
このサゲは歌道と角の洒落になっていて、最後に角を入れないとその洒落が伝わりにくいと思うのですが、小さん師匠は敢えてそこを省略しているようです。
ちなみに小学館から出ている音源と、ポニーキャニオンから出ている音源を聴き比べてみましたが、どちらも角を入れていませんでした。
前述の「五代目小さん芸語録」のなかに、関連するエピソードがないかと思い読み返してみましたが、サゲに角を入れるかどうかについての言及はありませんでした。
ただ「道灌」の項で小里ん師匠が「そうして、人物像が本当に描けたら、あとは噺の運び方と、噺の了見をどう表現するかですね。そのための基本として、「無駄なことは絶対言うな」ってことはすごく言われました」と語っているのが興味深いです。
洒落を聴かせようという意図を抜きにして会話として表現するのならば、「暗えから提灯借りに来た」とすっと下げるのが、あるいは自然なのかもしれません。