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2012年11月

2012年11月29日 (木)

龍玉師匠の豊志賀

新宿の道楽亭で、蜃気楼龍玉師匠の「豊志賀の死」を聴いてきました。

今年は菊之丞師匠、雲助師匠、馬吉さんと、様々な演者さんによる豊志賀を聴く機会がありました。中で馬吉さんのは夕顔の花が出てくる先代馬生師匠の型で、一幅の絵を見るような美しさと哀しさがありました。

龍玉師匠は今回ネタおろし。まず「深見新五郎」の後半部分から始め、中入りをはさんでたっぷり一時間以上の熱演でした。笑わせどころと聴かせどころのメリハリを効かせて全く飽きさせず、ネタおろしとは思えない完成度の高さです。登場人物の多い噺ですが、勘蔵が特に良かったように思います。新吉に意見をするところで、勘蔵が大人として達観しすぎていないところに龍玉師匠らしさがありました。

ところで豊志賀にはいくつか笑いどころのポイントがあります。雨の夜に新吉が豊志賀の言葉を繰り返すところ、布団にくるまって柏餅、「お久さん何処へ」「日野屋へ」のやりとりなどで、驚くことにこれらのくすぐりは円朝がすでに作っていたものです(岩波文庫版の速記参照)。笑いを喚起する仕組みが、基本的には時代を経ても色あせないことが分かります。くすぐりのひとつである豊志賀が新吉を朝起こす場面で、円朝の速記では吸付け煙草で起こします。圓生、志ん朝がやはり吸付け煙草で、菊之丞師匠もこの型でした。龍玉師匠は煙草を使わず、音源で確かめたところ雲助師匠も煙草はなしでした。

この龍玉師匠の「真景累ヶ淵」の続き読み、次回は1月23日、「お久殺し」をやるそうです。今から期待が高まります。

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打ち上げのビールでご機嫌な龍玉師匠。

2012年11月26日 (月)

濃密な三席

池袋演芸場にて、古今亭菊之丞独演会。
「黄金餅」「三味線栗毛」「豊志賀の死」の三席をネタだし。

「黄金餅」はネタおろしの時に聴きにいけず悔しい思いをしていたので、個人的に「やっと出会えた」ネタです。
かなり完成度が高く、菊之丞師匠の売り物になりそうな予感がします。特に木蓮寺での弔いの部分を笑いたっぷりに聴かせるところが師匠の力量を感じさせます。
どうしても陰惨になりがちな噺ですが、菊之丞師匠の華やかさが光る高座でした。

「三味線栗毛」は手慣れたネタで安定の一席。明るい紫の着物に袴姿が若侍に似合っていました。

仲入りを挟んで「豊志賀の死」。さすがに大ネタ三席目でやや疲れが出ていたように思いますが、ダレ場と笑いとの緩急を巧みに取り混ぜるあたり、さすがという感じです。
夏に神楽坂で菊之丞師匠の同じ噺を聴きましたが、安定感は今日の方がやや欠けるものの、一席の噺としては聴きごたえがあったように感じました。
三席続けて聴くと、まず西念が患い、錦木が患い、豊志賀が患うという、なかなかに濃密な時間を堪能しました。

2012年11月25日 (日)

珍しい噺

本日はキャナリー落語会のお手伝いに行ってきました。
これは素人の落語教室の発表会で、いわゆる天狗連というやつです。
キャナリー落語教室にはクラスが5つあり、発表会では最後に各クラスの講師を務めている噺家さんが高座に上がります。

今日のクラスは桂文雀クラス。演目は「伽羅の下駄」という非常に珍しい噺でした。
そもそも仙台公が伽羅の下駄をはいて高尾のもとに通ったというエピソードを私は知らなかったのですが、古今亭志ん生師匠の「二階ぞめき」のなかに「吉原の通い始めは傘と下駄」という川柳が出てきて、これは助六の蛇の目傘と、仙台公の伽羅の下指しているそうです。
文雀師匠はほかにも色々珍しいネタを持っていらっしゃるので、毎回高座が楽しみです。

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出番を待つ文雀師匠。

2012年11月23日 (金)

福袋演芸場

祝日に池袋演芸場で開催される、二つ目による落語会「福袋演芸場」に行ってきました。

柳家喬之進「仏馬」
柳家小んぶ「家見舞」
三遊亭歌扇「天狗裁き」
春風亭ぴっかり「牛丼晴舞台」
林家たこ平「松山鏡」
鈴々舎八ゑ馬「書割盗人」

喬之進さんの「仏馬」は、なかなか聴くことのできない珍しい演目です。
牧歌的な、いかにも落語らしい噺で、喬之進さんの佇まいに非常によく似合っています。

小んぶさんは声が良いのと、でかい体で引いた感じから噺に入るのがたまらなくおかしいです。
前座時代からひそかに注目しています。

ぴっかりさんは外連味たっぷり、たこ平さんはきっちりとした高座。
トリの八ゑ馬さんの「書割盗人」は江戸落語でいう「だくだく」で、
八ゑ馬さんのとぼけた味わいがよく出ていました。
今年もR-1にエントリーされるそうで、ぜひ優勝を狙ってほしいです。

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二つ目昇進直前のころの八ゑ馬さん。

2012年11月15日 (木)

淀五郎のこと3

古今亭志ん生師匠の「淀五郎」は、これもNHK落語名人選のシリーズに収められています。出囃子の一丁入りが他と比べても実にゆっくりで、出囃子が始まってすぐ、おそらく師匠が出てくる前に、ひとりだけパチパチと拍手をする間の抜けた音が入っていたりして、噺に入る前からわくわくするような音源です。
これは昭和36年10月にヤマハホールで収録されたものらしく、そうだとすると志ん生師匠が脳出血で倒れるわずか2か月前ということになります。
圓生師匠、正蔵師匠のものと比べて、志ん生師匠の「淀五郎」で特徴的なのは、団蔵が厳しい態度で接するのは淀五郎のためなのだと諭す部分で、団蔵を淀五郎にとっての「芸の神様」だとまで言います。「百年目」のような噺もそうですが、じっくりと芸の年輪を重ねた名人が演じると、キャラクターにその演者の気持ちが重く反映されて、それぞれの味を醸し出します。志ん生師匠の仲蔵は、何よりもまず人の恩を忘れてはいけないということに重点を置きつつ淀五郎に小言を言う。そのあたりが古今亭志ん生という噺家の持ち味なのではないでしょうか。
前回も書いたとおり、直木賞作家の山口瞳氏には、志ん生師匠の「淀五郎」について書いた「旦那の意見」というエッセイがあります。氏は仲蔵が淀五郎に意見する部分に触れて次のように書いています。
「私は、これは、目上の者が目下の者に意見をするときのこととして完璧だと思う。
二人だけの話にする。酒肴をもつ。恩義(筋)を忘れるな。芸には「型」がある。褒めてもらおうと思うな、という「心がまえ」。それならば具体的にどうするかという先輩の知恵。喧嘩場では、本当に師直を斬ってしまおうという心意気。」
実に氏の書いている通りで、このあたりに正雀師匠が「師匠が、『この噺は、若い時に演っても駄目だよ』と教えてくださったことが、今になってわかってきました」というその妙があるのでしょう。
ポニーキャニオンから発売されている「古今亭志ん生名演大全」の特典CDに「志ん生 表と裏」と題された、志ん生師匠の日常が録音されたものがあり、中に弟子に稽古をつけている様子が収録されています。弟子はおそらく圓菊師匠のように思われますが、志ん生師匠が稽古をつけるその感じが、まさしく仲蔵を思わせます。
こうして色々と聴いてくると、ますます菊之丞師匠の「淀五郎」がどんな風であるのか気になってきました。早く聴いてみたいものです。

2012年11月14日 (水)

淀五郎のこと2

先代林家正蔵(彦六)師匠の「淀五郎」について、というか正蔵師匠その人について、非常に興味深いエピソードが数多く書かれた本が、うなぎ書房から最近発刊されました。林家正雀師匠著の「彦六覚え帖」です。
この中には前座時代の正蔵師匠が志ん生師匠と共同生活をしていたことや、仲違いをした圓生師匠の芸を実は高く評価していたことなど、貴重な話が多く収められています。
淀五郎については、噺の眼目をどこに置くかということが以下のように書かれています。
「(ある師匠が「淀五郎」は「中村仲蔵」より噺として劣ると言ったが)これは、淀五郎を噺の主人公だと捉えれば、そういう考えになるのかも知れませんが、この噺の芯は団蔵と仲蔵の芸談であり、人生訓だと捉えると、やはりよく出来た噺だと思います。(中略)師匠が、「この噺は、若い時に演っても駄目だよ」と教えてくださったことが、今になってわかってきました」(「彦六覚え帖」より)
ここに書かれているのは正雀師匠の淀五郎観ですが、おそらく正蔵師匠も同じように考えていたことでしょう。なるほど、「淀五郎」を「中村仲蔵」のような、主人公の成長物語として捉えてはいけない。彼を導く二人の名役者の、芸に対する姿勢を描いたものだとし、それを演じるには噺家もある程度の年輪が必要だというのはとても納得できます。
観客の側から言うと、どの登場人物に感情移入をするか、その年齢によって大分違ってくるのではないでしょうか。若い人は淀五郎に自分の悩みを重ねるでしょうし、そうだとしたら思いっきり淀五郎に感情移入した演じ方があっても良い気がします。
一方で部下のある人でしたら仲蔵の姿勢にリーダーシップのあり方を学ぶかもしれません。この仲蔵が淀五郎に意見する部分については、直木賞作家の山口瞳氏が志ん生師匠の「淀五郎」について触れた「旦那の意見」という名エッセイがあります。次回はそのことについて書きたいと思います。
ちなみに古谷三敏氏の漫画「寄席芸人伝」のなかに、この「淀五郎」を意識して描かれたと思われる「若手潰しの万橘」というエピソードがあります。若手真打の桂小米を苛める名人三遊亭万橘の話で、万橘を殺そうと思い詰めた小米を、万橘によって五厘(事務員)にさせられた元噺家の市之助が諭す、という内容です。さらにこの市之助が噺家から五厘に転身するまでを描いた「五厘の市之助」というエピソードもあって、とても楽しめる内容になっています。
ところで前回書いた圓生師匠と正蔵師匠のそれぞれの「淀五郎」の下げの違いですが、これは実際に音源を聴いていただいた方が良いと思います。正蔵師匠の音源もNHK落語名人選に入っています。

2012年11月13日 (火)

淀五郎のこと

この11月中席(11月11日~20日)の池袋演芸場は、夜席のトリを古今亭菊之丞師匠がとっています。初日のネタは「淀五郎」だったそうです。菊之丞師匠で「淀五郎」とくれば、もう聴きたいのなんのって、身がよじれるほどですが、来年の1月22日(火)に麻布区民センターで行われる独演会でネタ出しされているのを発見しました。楽しみです。
さて「淀五郎」のことをあれこれ考えているうちに、もう聴きたくて居ても立ってもいられず、手持ちの音源から先代正蔵師匠、圓生師匠、志ん生師匠、と色々聴き比べてみました。
他にも発売されているものとしては先代馬生師匠のものや、少し変わった形の談志師匠のもの、一朝師匠や雲助師匠の音源もあります。一朝師匠の録音(iTunes Storeで発売)では、マクラで二つ目時代に歌舞伎の笛を吹いていたエピソードが語られていて、非常に興味深いです。
圓生師匠の「淀五郎」はNHK落語名人選のと圓生百席のと二通りあるのですが、やはりライブで録音された前者の方が聴いていて断然楽しいと思います。数多く残されている圓生師匠の演目の中でも、私は個人的にこの「淀五郎」が一番好きです。出囃子と拍手が鳴り終わらないうちにかすかな声で「お暑いなか…」とお辞儀をしている様子が目に浮かぶようで、さらにマクラで芸術座に役者として出演していることに触れるやや嫌味な感じ、そして噺に入ってからの、団蔵の酷薄さ、仲蔵の器量、淀五郎の苦悩を少しくさめに演じるところ、芝居に関するあれこれなど、まるで細部まで精緻に組み立てられた芸術品を見るかのような隙のない構成になっています。
さらにこの音源で何よりも特徴的なのは、この笑いの少ない噺がものすごく受けているところです。笑いどころでないような場所でさえ、観客の笑い声が入っています。これはおそらく演者がものすごく乗っていて、さらに観客が乗っていて、その相乗効果でもって会場に熱い空気ができていたのだと思います。落語に限ったことではないと思いますが、こういう空気になって会場全体が異様な盛り上がりになることがライブでは稀にあります。観客にとって、きっと演者さんにとっても、本当に幸福な瞬間です。この日の圓生師匠の「淀五郎」を聴いたお客さんはとても幸せな気持ちになったことでしょう。
圓生百席の方に収められた音源の、本編ではなく芸談の部分で、圓生師匠はこの噺の下げ方について解説しています。下げ方にいくつかのやり方があって、圓生師匠は自分の採用しているパターンが他のよりも優れていると言っているのですが、実はもう一方の下げのパターンを、圓生師匠のライバルと世間から目されていた八代目の正蔵師匠がやっているのです。次回は正蔵師匠の淀五郎について書きたいと思います。

2012年11月10日 (土)

若旦那あれこれ

「火事息子」という噺は火事そのものがモチーフとなっており、また父と息子の関係も重要な主題のひとつだと書きました。さらにこの噺を若旦那というキャラクターに焦点を当てて考えてみると、他の噺に出てくる若旦那と比べてかなり特異な設定であることが見えてきます。

落語には実に様々なタイプの若旦那が出てくるのですが、細かく分類していくと、まず道楽者なのか、そうでないのかという二つに分かれます。

もっとも落語に登場する大抵の若旦那は道楽者で、「崇徳院」「千両みかん」「擬宝珠」「明烏」などのごく少数の若旦那がウブで生真面目な珍しいタイプです。

そして若旦那の道楽と言えばほとんどが廓通いなのですが、その中でも勘当になるかならないかの二つのパターンがあります。「湯屋番」「船徳」「紙屑屋」「唐茄子屋政談」などの若旦那は女遊びが元で勘当になっていますが、「山崎屋」「干物箱」「六尺棒」「二階ぞめき」「たちぎれ」「菊江の仏壇」などの若旦那は締め出しや謹慎をくらっても、勘当までには至っていません。

さて、若旦那の道楽の多くが女郎買いである一方で、中には「七段目」の芝居道楽や「義太夫息子」の義太夫道楽、また変わったところでは「宗論」の若旦那のように宗教にはまってしまう若旦那もいます。「火事息子」の若旦那もこの変わった道楽のケースの一人でしょう。ただし、前述したように勘当の理由は女遊びが原因であることが普通で、「火事息子」の若旦那のように女遊び以外の理由で勘当になるというのは、他にあまり例がないような気がします。

三道楽「呑む」「打つ」「買う」の「呑む」「打つ」で勘当になる噺はないかと記憶を探ってみたのですが、「親子酒」の若旦那は酔った親父から感動だと言われていますが本当に勘当にはなっていないようですし、博打にはまった若旦那というのもちょっと思い浮かびません。こうして見てみると、「火事息子」の若旦那が非常に特異なタイプであることがわかり、それぞれの演者がどのようにこの若旦那を演じているかに注目して聴いてみるのも、「火事息子」という噺の楽しみ方の一つであるように思います。

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2012年11月 7日 (水)

火事息子それぞれ

「火事息子」の主題のひとつに父と息子の関係があります。

火事が好きで勘当になった息子と、その父とが再会する場面の互いの複雑な気持ち。

特に、蔵の目塗を手伝ってくれた火消人足が、息子だったと知った瞬間の父親の反応は、それぞれの演者がそれぞれの演りかたでもって父親の心情を描き出しています。

三代目三木助師匠は「あの、さっき、あの彫り物だらけでもって、あの屋根から屋根へ、あれが?」と、父親の動揺をストレートに表現しています。

先代の正蔵師匠は「え、え、へええ、徳かい?あれが徳?うちの倅?へえ、変わりゃあ変わるもんだねえ…そうかい」と嘆息が混じり、先代馬生師匠は「孝太?あの馬鹿、あんなとこ飛んでもし落っこったら…」と愛情が怒りになって言葉に出ます。

志ん生師匠のは「へ、徳のやつか、そうか、あの野郎はまあどうも…」と深い哀しみを感じさせ、圓生師匠は「え、あ、藤三郎かい?あの、屋根から屋根へ、あの。危ないことをするじゃあないか」と、屋根から屋根へ飛び移ってやってきた息子の身を思わず心配してしまうという父親の情愛を感じさせます。

中でもっとも変わっているのは志ん朝師匠で、「え、あれが?吉三郎かい?そうか…やっぱりなあ、ふうん…」と、驚きながらもそれが息子ということをどこかで感じていたという不思議な父親の心持を、しっとりと描いています。

勘当になった若旦那が登場する噺は「湯屋番」「唐茄子屋政談」「船徳」など色々ありますが、親と再会を果たすという筋立ては他にないように思います。

おそらく演じる噺家さんの歳によっても、父と息子の距離感に差が出てくるのではないでしょうか。

※蜃気楼龍玉が「火事息子」を口演!詳しくはこちらをクリック↓

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2012年11月 4日 (日)

落語の知識、知識の落語「火事息子」その2

前回「火事息子」には、昭和の名人たちによる音源がたくさん残されていると書きました。大抵は25分~35分といった長さなのですが、圓生百席に収められているものだけは46分半という長尺です。ポニーキャニオンから出ている名演集に収録されているものは28分くらいですので、百席の方の音源はかなり長いのですが、それもそのはず、冒頭30分近くが火事の小噺、彫り物や消火組織に関するマクラです。さらにライブ収録のものと違って百席のほうがテンポもゆっくりとじっくり聴かせようという風にやられていて、「北風がぴゅーっと吹いている」の「ぴゅー」までくどく喋っているのが面白いです。ぜひ聴き比べてみてください。

噺の舞台となる場所を、「神田あたり」「神田三河町」と、きちんと説明してから噺に入るパターンもあります。場所はどこでもよいと思うのですが、志ん生版では「婀娜な深川 勇肌は神田 人の悪いは飯田町」という都々逸が入っていることからも、神田というのは勇肌(いさみ)の土地柄で、そこに火消人足が登場するというのは、昔のお客さんにとってはいかにピタリとくる演出だったのでしょう。

ところで、この噺に出てくる若旦那のような火消人足を臥煙(がえん)というのですが、直木賞作家の山口瞳氏は担当編集者に「臥煙君」というニックネームをつけています。氏は歴代の担当編集者にニックネームをつけてエッセイや旅行記に登場させるのが恒例になっていて、このニックネームは編集者の名前(雅延まさのぶ、というお名前らしいです)から来ているのですが、発想の根元には落語からのヒントもあるような気がします。

何しろ氏は非常に落語の造詣が深く(もっとも、ある年代以上で東京生まれの人には、一般常識として落語の知識があるように思われます)、寄席には出なくなった晩年の志ん生を座敷に呼ぶほどの落語ファンなのです(この様子は名著「酒飲みの自己弁護」に書かれています)。直木賞受賞作「江分利満氏の優雅な生活」のなかにも『三遊亭円生さんみたいに「テッ、しかし、ま、ナンダナ、ありがてえやナ」といってヒタイをポンと叩きたいような気持だった』という箇所があり、また志ん生の「淀五郎」について書いた「旦那の意見」という名エッセイがあり、そば屋で先代馬生と相席をしたエピソードがエッセイに収められていたり、さらに志ん朝師匠と交流があったりと、著書を通して様々に落語好きな一面を覗くことができるのです。臥煙というニックネームを編集者につけたとき、「火事息子」にことが頭にあったとしてもおかしくないように思います。

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2012年11月 3日 (土)

落語の知識、知識の落語「火事息子」その1

火事にまつわる落語は「富久」「ねずみ穴」「二番煎じ」など色々とありますが、なかで「火事息子」は火事そのものがメインのモチーフになっている噺であり、江戸の火事事情が詳しく語られます。

寄席や落語会でのべつに聴ける噺ではありませんが、音源では桂三木助、古今亭志ん生、三遊亭圓生、林家正蔵、金原亭馬生、古今亭志ん朝、立川談志と、そうそうたる顔ぶれのものが残されていますし、五街道雲助師匠の録音が2011年にソニーから発売されていて、これはすごく聴きごたえがあります。

たくさん残されている音源の中で、構成が面白いのは三木助師匠と圓生師匠のもの。三木助師匠のは主人公の若旦那が夢を見るシーンから始まり、この型は談志師匠も受け継いでいます。この三木助・談志版もそうなのですが、圓生版は一度火事道楽の若旦那が登場した後で返りマクラというのでしょうか、また噺が地の部分に戻って火事についての説明が入るという、火事のことを知りたい人には至れり尽くせりの内容です。

さらに多くの噺家さんが、この噺をやるときは火事以外に彫り物についても触れます。
これは、かつての火消人足が全身に彫り物をしていたためで、彫り物と刺青の違いなど、面白くて役に立たない知識が満載です。

次回はそれぞれの火事息子の構成についてもう少し考えてみたいと思います。

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2012年11月 2日 (金)

落語の知識、知識の落語

落語を聴くと色々な知識が身につきます。身につきますが、大抵は役に立ちません。
でも、そういう使い道のない知識のほうが聴いていて楽しいですね。

その役に立たない知識の代表が廓噺、昔の吉原がどんな風だったとか、なるほどなあと感心はするのですが、実生活で役に立つことはまずありません。

同じ遊廓でも「明烏」のようにお茶屋を通して登楼する貸座敷と、「付き馬」に出てくるような中見世と、「お直し」に出てくる最下層の女郎屋と、それぞれに格式やサービスが異なるのだなあというのが分かって非常に面白い。特に古今亭志ん生師匠の「お直し」は、マクラで実体験と思われる吉原(しかもあまり上等でない見世)の様子が語られていて、興味深いです(志ん生師匠のお直しはいくつか音源がありますが、キングレコードのものが個人的には好きです)。

それから芝居に関する知識も落語の中にはたくさん出てきます。

三遊亭圓生師匠の「淀五郎」では、歌舞伎役者の階級について非常に細かく説明がされていて興味深い。また「芝居の喧嘩」には半畳あらため、伝法なんていう言葉が出てきて、昔の芝居小屋の風情がよく伝わってきます。

そして落語を聴いていなかったら、おそらく一生知ることはなかっただろうと思われる知識が、昔の火事と消火組織に関するものです。火事の出てくる落語は沢山あって、それぞれに面白いのですが、中で最も火事の知識が身につくのは「火事息子」だろうと思います。

次回は「火事息子」のことを書きます。

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