« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月

2012年12月31日 (月)

落語聴き納め

浦和で開催されている「さいたま落語亭」、三遊亭天どんさんの会に行ってきました。ゲストは蜃気楼龍玉師匠。これが今年の落語聴き納めです。

龍玉師匠はお得意の「駒長」と、先日ネタおろしした「一眼国」。
天どんさんは「口入屋」と「芝浜」。
天どんさんが二席とも古典で直球勝負だったのがやや意外な気がしましたが、どちらも非常に良い出来だったように思います。
今年の二月に天どんさんが「品川心中」を通しでやったのを聴いたのですが、それがすごく良くて印象に残っていて、その時のことを思い出しました。

天どんさんの「芝浜」は、キャラクターがいかにも天どんさんらしく現代的に解釈されていて、「面倒くせえ、楽してえ」と絶えず口にするところがたまらなく可笑しかったです。
来年の真打を前にして勢いを増している感じが伝わってきて、会場も大きな笑いに包まれました。いかにも暮れらしい会になりました。

Img_0356
天どんさん、芸人らしい営業スマイル。

Img_0357
龍玉師匠。スポットライトで顔真っ白。

2012年12月25日 (火)

龍玉師匠のネタおろし

柳家喜多八師匠と蜃気楼龍玉師匠の二人会「七転八倒の会」に行ってきました。

喜多八師匠は十八番の「もぐら泥」に、この季節ならではの「二番煎じ」。
喜多八師匠の二番煎じは、夜回りの連中がワイワイと本当に楽しそうで、さらに見廻りの役人が強面なのが印象的でした(ちなみに喜多八師匠の「居残り佐平次」に出てくる若い衆もとても強面です)。

龍玉師匠は「たらちね」とネタおろしの「一眼国」。
香具師がコロコロ態度を変えるあたりの酷薄さに、先代柳朝師匠的な愛嬌があって、これは師匠の売り物になるのではないかと感じました。

Img_0355_3
一仕事終えた龍玉師匠。

2012年12月24日 (月)

第二回「龍玉部屋」PV

龍玉師匠からの会のお知らせです。
後ろがガヤガヤしておりますが、ご容赦ください (o^-^o)

Banner_5

2012年12月21日 (金)

馬石版「芝浜」

12月の下席(昼席)、鈴本演芸場では「年の瀬に芝浜を聴く会」と題した企画番組が行われています。日替わりで異なる演者がトリに「芝浜」をかけるという趣向で、初日の今日は隅田川馬石師匠が主任でした。

馬石師匠以外の演者さんも若手の実力派がずらりと並び、こみちさん「旅行日記」、一之輔師匠「めがね泥」、龍玉師匠「ざる屋」、菊之丞師匠「棒鱈」、彦いち師匠「睨み合い」と、いかにも寄席らしいような、それでいて一捻りしているような楽しい演目が並びました。

一之輔師匠、さすがに勢いがある感じです。龍玉師匠は噺の途中で急に雲助師匠っぽくなる部分があり、興味深い。菊之丞師匠の「棒鱈」はいつも通りの安定感で、場内のご婦人の団体がキャッキャと笑っておりました。

さて馬石師匠の「芝浜」。これは確かに雲助師匠の形のはずなのに、雲助師匠的な演出が割と大胆に省かれていて、そのぶんしっかりとした馬石落語となっていました。雲助師匠や龍玉師匠のような輪郭を端正にしっかり描いていく方法と違って、馬石師匠の噺はメソッド・アクティングというのか、了見重視というのか、どちらかというと大師匠の先代馬生師匠に芸風の印象が近い気がします。
つまり「何だって良いんだよ、でもどうでも良いわけじゃない」という本質的な噺の構築の仕方を強く感じさせます。

この芝浜を聴く会の演者は他に雲助師匠、扇遊師匠、三三師匠、一朝師匠という面々が並んでおりますが、中で馬石師匠はおそらく主人公の勝五郎と実年齢が近いと思われます。そのせいなのか、気持ちの揺れ動く様の描写に無理がなく、重すぎずクサすぎず、スッと噺が入ってきて心地よかったです。
馬石師匠は今年の文化庁芸術祭の新人賞受賞が決定したそうで、これから益々注目の噺家さんです。

Baseki

落語の原理主義

先日読んだ、古今亭圓菊師匠の著書「笑うが勝ち」の中に、とても素敵なエピソードがあります。
圓菊師匠が志ん生師匠に稽古をつけてもらっていると、そこに先代の馬生師匠が顔を見せた。圓菊師匠は二人の師匠を前に噺をすることになり、非常に緊張します。
すると突然馬生師匠が「そこはちがうよ」という。圓菊師匠は志ん生師匠に教わった通りにやっていたのですが、くすぐりの部分が違うと指摘するのです。それを聞いた志ん生師匠がボソッと言う。
「でも、おまえ、いいんだよ。まちがえたって警察はうるさくないんだからさ」

これはとても印象的な話です。落語に限らないと思いますが、ある種のマニアになると原理主義的な方向に行く場合があります。例えば、中トリという言葉があります。中入り(休憩)の前の出番のことで、通常の出番よりも長めの時間であることも多いので、トリ(一番最後の出番)に対して中トリというのでしょう。しかし、元来は中トリという言葉は間違いであるという意見もあります。トリというのはあくまでも最後の出番に使う言葉で、中トリではなく、中入りというべきだ、という意見です。これは落語を聴くにあたってはどちらでも良いことなのですが、こういう意見を本で読んだりすると「中トリという言葉は間違いだ」と頑なになったりするんですね。正直に告白しますと、僕にもそういう傾向があります。そういうことを考えると、先の志ん生師匠の言葉、
「でも、おまえ、いいんだよ。まちがえたって警察はうるさくないんだからさ」
これは非常に含蓄のある言葉ですね。
確か先代馬生師匠にも「何だって良いんだよ、でもどうでも良いわけじゃない」という言葉があったと記憶しています。

今日は馬石師匠の「芝浜」を聴いて、そんなことをつらつらと思いました。
この「芝浜」に関しては次回書きます。

2012年12月19日 (水)

個人的体験としての落語

学生時代に授業でバスター・キートン映画のビデオを観て、教室中が大笑いしたことがあります。上映後に教授が「一人で観ていてもこんなには笑わない。みんなで観ているから笑うのだ」と説明してくれました。落語も同じだと思います。
落語はライブで聴くのが一番だと思っていますが、その理由はライブでは落語的な空間そのものを聴くという楽しみがあるからです。

その一方で、音だけで落語を聴くのも僕は好きです。そもそも僕が落語を聴き始めたのはラジオやCDが最初なので、iPodにいれた落語をイヤホンで聴いていると、落語の原体験に戻るという懐かしさがそこにはあります。
またすでに亡くなってしまった昔の名人たちの噺を楽しめるという良さもあります。
そして何よりも、音で落語を聴いていると、自分一人で噺家や噺に向き合うことができます。

昨年僕は父を病気で亡くしたのですが、葬儀の準備やら何やらがあまりに慌ただしく、気持ちの整理がつかぬまま、夜になって寝る前に落語を聴きました。こういう時にどんな噺がよいかと考えた後で、まずは右朝師匠の「片棒」を聴きました。それから談志師匠の「火事息子」を聴きました。この「火事息子」は冒頭に若旦那が母親の夢を見るところから始まる独特の型で、僕は談志落語の良い聴き手ではありませんが、その噺を布団の中で聴きながら心が少しずつ落ち着いていくのを感じていました。

その翌々日、火葬場の日程の都合で通夜と本葬の間が一日空いたのですが、たまたま実家の近くで落語会が開かれることを知り、車で出かけてゆきました。二つ目さんが四人出演する会で、会場は少し大きめの公民館でした。トリをとったのは三遊亭きつつきさんで、きつつきさんは「時そば」をやりました。田舎の公民館で開かれる落語会でトリに「時そば」、こんなにピッタリな演目はないと思います。僕は大笑いして、その帰り道にカーラジオで談志師匠が亡くなったことを知りました。しかも実際に亡くなったのはその発表の前々日で、つまり僕の父が亡くなった日と同じ日でした。父が亡くなったその夜、僕は偶然同じ日に亡くなった談志師匠の「火事息子」を聴いていたわけです。

父との思い出で、僕が小さいころ一緒にお風呂に入っていた時、父が僕に「人の名前を色々読み間違える面白い話」を聴かせてくれたことがあります。後年になってわかったのですが、これは落語の「平林」でした。タイラバヤシかヒラリンか、という文句をきちんと父は教えてくれました。田舎で生まれ育って、寄席などに行く機会はほとんどなかったはずの父が「平林」を知っていたのは、おそらくラジオの影響だと思います。他にも父は僕が変な顔をすると「キンゴローみたいな顔になっちまうぞ」ということがありました。父は戦後すぐの生まれですが、この前後の世代の人たちはラジオやテレビの寄席番組の影響で、大抵の人が落語に関する基礎知識を持っているように思います。

いま改めて考えてみると、寝床の中で一人で落語を聴く、そのことで肉親の死を受け入れる、という追悼の形があっても良いと思うのです。またそいうことが芸能や芸術のひとつの意義というか、効用なのかもしれません。

2012年12月17日 (月)

龍玉~雲助「双蝶々」リレー

今年は蜃気楼龍玉師匠の「双蝶々」を三回聞く機会がありました。
一度目は師匠独演の通しで、二度目は隅田川馬石師匠とのリレーで、そして三度目は昨日の山野楽器での五街道雲助師匠とのリレーでした。

「双蝶々」の通しのような長い噺は、聴く側のコンディションによっても印象がだいぶ違うと思うのですが、昨日の会はどっぷりと噺に入り込むことができました。

龍玉師匠は長吉の少年時代から奉公先で定吉を殺害するところまで、そのあとの長兵衛夫婦が本所の番場に引っこみ、やがて長吉と再会して雪の子別れの部分までを雲助師匠というリレー。これは非常に素晴らしい構成でした。芝居の配役でいえば、若いころの長兵衛と青年期の長吉を龍玉師匠が演じ、老いた長兵衛を雲助師匠が演じるといった具合で、二時間たっぷり、贅沢な時間を過ごしました。

長吉が広徳寺の境内で女の二人連れ相手にスリを働く場面、畳みかけるような口調で、短いカットをつなぎ合わせた緊迫感のあるアクションシーンを見るよう。そして腹が痛いと嘘をついて五十両を盗み出した長吉が、おかみさんのくれた手のひらの粉薬をふうっと吹き飛ばす場面は、暗闇の中に白い粉薬が消えていくのが目に映るようで、非常にスリリングでした。

僕には噺家のテクニックの優劣というのは良くわかりませんが、こうして龍玉師匠と雲助師匠とのリレーを聴くと、どちらもそれぞれに素晴らしく、また若いときには若い時の芸の良さが、円熟期には円熟期の良さがあるのだということが感じられて、普通の落語会では味わえないような得難い体験をしました。
ちなみに雲助師匠の通し口演はビクターからDVDが発売されています。

龍玉師匠はいまや圓朝物に果敢に挑戦する若手真打、というイメージが定着した感がありますが、落とし噺での飄々とした味わいもまた素晴らしいものがあります。
ぜひ第二回「龍玉部屋」でその実力をお確かめください。ふふ、宣伝、宣伝。

Chouchou

2012年12月16日 (日)

「文七元結」の季節

毎年この季節になると、あちこちの落語会で「芝浜」がかかりますが、今年は「文七元結」がネタ出しされている会が多い気がします。今日だけでも橘家文左衛門師匠、古今亭志ん橋師匠、林家正雀師匠、金原亭馬治さんと、多くの噺家さんがやられているようです。出来ることなら全部片っ端から聴いてみたいです。

今日は銀座の山野楽器で開催された「銀座山野亭落語会」で古今亭菊之丞師匠の「文七元結」を聴いてきました。菊之丞師匠の文七は去年聴いていたのですが、一年経つと記憶が薄れていて、とても新鮮な気持ちで聴きました。

まず着物がすごく格好良かったです。赤い縞の入った唐桟っぽい着物で(でもおそらくは絹物だと思いますが)、白地に何かの模様を散らした帯という、遊びにのめり込んだ職人を演じるのにピタリとはまった様子の良さ。

師匠の文七で特徴的だったのは、物語の導入部で左官の長兵衛が腕の立つ職人であることを説明している部分。確かさん喬師匠がこの形だったように思います。また音源で確認すると先代の馬生師匠も同じような説明を入れていました。これを入れると、博打で身を持ち崩した長兵衛の落差が浮かび上がって、キャラクターがスッと聴き手に入ってくるように思います。
全体としては記憶していたよりもかなり泣かせる構成で、じっくりと演じている印象でした。

そして、もう一席は「二番煎じ」。「火の用心」や都々逸など、随所で師匠の喉をたっぷりと堪能できる楽しい高座でした。
ところで会で配られたチラシの中に、鈴本の正月二之席のハガキが挟み込まれていました。昨年に引き続き、二之席の昼席は菊之丞師匠が主任。今から楽しみです。

ちなみに本日の「銀座山野亭落語会」のうち、菊之丞師匠の会は第一部で、第三部も聴きに行ったのですが、こちらは雲助師匠・龍玉師匠による双蝶々のリレーという、これもこの季節にふさわしい会でした。こちらの感想は、また次回書きます。

Ninoseki

2012年12月15日 (土)

「笑うが勝ち」読了

古今亭圓菊著、昭和59年発刊の「笑うが勝ち」を読みました。
同じ圓菊師匠の著書「背中の志ん生」と比較すると、「背中の志ん生」のほうは、より志ん生の思い出にフォーカスしていますが、「笑うが勝ち」は前座、二つ目、真打昇進から執筆当時に至るまでの修行体験のあれこれが描かれていて、しかもかなり赤裸々に描かれているが特徴です。
真打昇進から長いこと鈴本からの声がかからなかったことなど、今から考えると非常に興味深いエピソードがちりばめられていて面白い本でした。

菊之丞師匠の著書「こういう了見」 を読んだ時に、お金のことや家族のことなど非常に赤裸々に語っていることに驚いたのですが、この「笑うが勝ち」を読むとさらに上をいく開けっ広げぶりで、なるほど、菊之丞師匠の念頭にはこの著書があったのかもしれないな、と思わせます。

芸人さんの本を読むと、特にその修業時代のことや出銭の話が堅気のそれとはまったく違うので、いつも深く感動させられます。改めて、すべての芸人さんに強い尊敬の念を抱かずにはいられません。

Engiku

2012年12月 9日 (日)

両国亭アクセス

第二回「龍玉部屋」の会場であるお江戸両国亭について「どういったらいいの?」というお問い合わせをよくいただきますので、ここで簡単なアクセスを記載します。

一番わかりやすいのはJR総武線の両国駅で、国技館や江戸東京博物館とは反対側の出口、東口を出てください。

改札を出たら左手のほうに進み、パチンコ屋さんの角を右に曲がって真っ直ぐ進むと広い通り(京葉道路)にぶつかります。この道路を渡って左手に折れて進むと警察署(本所署)があり、その隣がお江戸両国亭です。

「龍玉部屋」は昼の開催(13時開演)ですので、開演前に両国のちゃんこ屋さんでお昼ご飯を食べたり、終演後に江戸東京博物館や、スカイツリーまで足を伸ばしてみるのはいかがでしょうか。ちなみに、ぐるナビで両国でランチ営業をしているちゃんこ屋さんを調べたところ5件がヒットしました。参考までにこちらをご覧ください。

皆様の「龍玉部屋」へのお越しをお待ちしております!

Ryogoku_map

2012年12月 8日 (土)

龍玉部屋ゲスト決定!

来年2月16日(土)開催の第二回「龍玉部屋」に出演してくださるゲストが決定いたしました。

太神楽の翁家和助さんです!

前座時代からの龍玉師匠の盟友、和助さんの登場。
龍玉師匠もきっと気合の入った高座を披露してくださることと思います。
是非みなさまお運びくださいませ。

Ryugyoku_2

RAKUGOもんすたぁず

Sinuchi

気鋭の若手噺家四人による落語会「RAKUGOもんすたぁず」を聴きに行ってきました。

以前から、色々の人からとても良い会だという噂を聞いていたのですが、足を運ぶのは初めてです。
いや実は一度聴きに来たことがあるのですが、そのときは満席のため入れなかったのでした。会場は門前仲町の古石場文化センター。駅からやや歩きます。

出演は古今亭志ん陽、柳家喬之進、柳家右太楼、春風亭朝也の皆さん。今回は志ん陽師匠の真打昇進特別番組ということで口上もありました。

柳家喬之進 「一目上がり」
柳家右太楼 「口入屋」
口上
春風亭朝也 「四段目」
古今亭志ん陽 「文七元結」

まずは喬之進さんが披露目の会にふさわしい「一目上がり」。先日の「福袋演芸場」でも喬之進さんがトップバッターを務めていましたが、抜群の安定感です。喬之進さんは見た目が愛らしいし、声にも特徴があるので、キャラクター重視の芸人さんだと思っていたのですが、これだけ安定感があるということはテクニックの確かさに裏打ちされてのことだと思います。あるいは真打昇進が射程圏内に入ってきて、勢いを増してきているのかもしれません。

右太楼さんを聴くのは久しぶり。以前は板橋でやっていた「五六の会」というさん弥さんとの会に毎回通っていたのですが、引っ越して以来足が遠のいてしまいました。ハンサムなので「明烏」「転宅」といった噺に独特の色気があり、また「五六の会」では「黄金餅」「らくだ」など骨太の噺にも挑戦していたのが印象的でした。今日の「口入屋」は語り口が平易で分かりやすく、きわどい噺なのに嫌らしさのないのが良かったです。

中入りを挟んで、四人が黒紋付きで並んでの口上。真打以外みな後輩というなかなか珍しい口上を見ることができました。

朝也さんの「四段目」は、こういう芝居の噺はご一門のお家芸というか、本人が楽しんでやっているのが伝わってきて、聴いていてテンションが上がる高座でした。サゲでもったいぶらずにスッと行く調子も、一朝師匠スタイルというか、もっと言えば大師匠の先代柳朝師匠の美学を受け継いでいるようにも感じました。

トリは志ん陽師匠の「文七元結」をたっぷりと。志ん陽師匠の長兵衛は、演者の人の好さがにじみ出ている感じなのが印象的でした。佐野槌の女将が特に良かったように思います。

志ん陽師匠の高座が終わった後、喬之進さんがバイオリンを持って出てきて余興に一曲弾き、抽選会があり、最後に手締めでお開きになりました。噂通りの良い会でした。
次回もまた来ようと思います。

Kyonoshin

大工の格好でベートーベンの「第九」を演奏した喬之進さん。
洒落はベタですが、バイオリンの腕前はとてもお上手でした。

2012年12月 5日 (水)

雲助師匠の「火事息子」

12月の上席、鈴本演芸場では「雲助 冬のお約束」と題し、五街道雲助師匠による日替りネタ出しの企画公演がおこなわれています。「鰍澤」「掛取万歳」「夢金」などワクワクするような演目が並んでいますが、仲日の今日は「火事息子」、これはどうしても聴きたいネタだったので、仕事が引けてから急いで鈴本に向かいました。

平日の、しかも週の真ん中とあって客の入りは三分くらいでしょうか、この空間で雲助師匠を聴くというのはとても贅沢な気分です。

ヒザ前の扇辰師匠の「鮑のし」に間に合いました。軽くて洒脱でとても素敵な「鮑のし」でした。ヒザは小菊師匠、いつもの♪柳橋から~という端唄ではなく、欣来節から始まりました。賑やかで個人的に大好きな歌です。出だしのところを♪すり鉢を~と歌う人と♪あたり鉢を~と歌う人がいますが、小菊師匠はすり鉢でした。

さてさて、雲助師匠の「火事息子」。音源では何度となく繰り返し聴いていますが、やはりライブで聴くとやや印象が変わってきます。この噺の根本は親と子の間の感情だと思うのですが、そこに火事という重要なモチーフが隠されていることを改めて感じました。つまりただ単に頑固な親父が勘当した息子に再会したというだけの噺ではない、火事騒ぎの後の高揚した気持ちや、火事見舞にきたよその若旦那を見ての困惑など、全てが混じり合ったうえでの親子の再会なのだということが感じられました。また音だけで聴いていると大旦那が厳しすぎるように感じたのが、生で見るとそこに確かな情味があふれていて素晴らしかったです。

来年の2月に開催される「龍玉部屋」では、雲助一門の龍玉師匠が「火事息子」をたっぷりと聴かせてくれると思います。
どうぞお楽しみに。

Kumosuke

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »