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2012年12月19日 (水)

個人的体験としての落語

学生時代に授業でバスター・キートン映画のビデオを観て、教室中が大笑いしたことがあります。上映後に教授が「一人で観ていてもこんなには笑わない。みんなで観ているから笑うのだ」と説明してくれました。落語も同じだと思います。
落語はライブで聴くのが一番だと思っていますが、その理由はライブでは落語的な空間そのものを聴くという楽しみがあるからです。

その一方で、音だけで落語を聴くのも僕は好きです。そもそも僕が落語を聴き始めたのはラジオやCDが最初なので、iPodにいれた落語をイヤホンで聴いていると、落語の原体験に戻るという懐かしさがそこにはあります。
またすでに亡くなってしまった昔の名人たちの噺を楽しめるという良さもあります。
そして何よりも、音で落語を聴いていると、自分一人で噺家や噺に向き合うことができます。

昨年僕は父を病気で亡くしたのですが、葬儀の準備やら何やらがあまりに慌ただしく、気持ちの整理がつかぬまま、夜になって寝る前に落語を聴きました。こういう時にどんな噺がよいかと考えた後で、まずは右朝師匠の「片棒」を聴きました。それから談志師匠の「火事息子」を聴きました。この「火事息子」は冒頭に若旦那が母親の夢を見るところから始まる独特の型で、僕は談志落語の良い聴き手ではありませんが、その噺を布団の中で聴きながら心が少しずつ落ち着いていくのを感じていました。

その翌々日、火葬場の日程の都合で通夜と本葬の間が一日空いたのですが、たまたま実家の近くで落語会が開かれることを知り、車で出かけてゆきました。二つ目さんが四人出演する会で、会場は少し大きめの公民館でした。トリをとったのは三遊亭きつつきさんで、きつつきさんは「時そば」をやりました。田舎の公民館で開かれる落語会でトリに「時そば」、こんなにピッタリな演目はないと思います。僕は大笑いして、その帰り道にカーラジオで談志師匠が亡くなったことを知りました。しかも実際に亡くなったのはその発表の前々日で、つまり僕の父が亡くなった日と同じ日でした。父が亡くなったその夜、僕は偶然同じ日に亡くなった談志師匠の「火事息子」を聴いていたわけです。

父との思い出で、僕が小さいころ一緒にお風呂に入っていた時、父が僕に「人の名前を色々読み間違える面白い話」を聴かせてくれたことがあります。後年になってわかったのですが、これは落語の「平林」でした。タイラバヤシかヒラリンか、という文句をきちんと父は教えてくれました。田舎で生まれ育って、寄席などに行く機会はほとんどなかったはずの父が「平林」を知っていたのは、おそらくラジオの影響だと思います。他にも父は僕が変な顔をすると「キンゴローみたいな顔になっちまうぞ」ということがありました。父は戦後すぐの生まれですが、この前後の世代の人たちはラジオやテレビの寄席番組の影響で、大抵の人が落語に関する基礎知識を持っているように思います。

いま改めて考えてみると、寝床の中で一人で落語を聴く、そのことで肉親の死を受け入れる、という追悼の形があっても良いと思うのです。またそいうことが芸能や芸術のひとつの意義というか、効用なのかもしれません。

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