落語の現代性とは何ぞや
今日は新宿の道楽亭で蜃気楼龍玉師匠の「お久殺し」を聴きました。
「お久殺し」は圓朝作の長編怪談噺「真景累ヶ淵」のうち、「豊志賀の死」の続きにあたる部分です。
道楽亭では龍玉師匠による圓朝物の連続口演という好企画を続けています。これまでは入りがそれほど良くなかったという噂を聞いていたのですが、前回の「豊志賀の死」も今回の「お久殺し」もいっぱいのお客様。
龍玉師匠、ブレイクの兆しではないでしょうか。
さて、今回は一席目に最近よくかけている「一眼国」。
時間の都合で普段はあまり喋らないマクラもたっぷり。飲み会(打ち上げ)での師匠の話の面白さは以前から定評があったのですが、今回のマクラも非常に面白く、古典落語だけでない師匠の喋りのセンスを感じさせます。
さて「お久殺し」ですが、前回の「豊志賀の死」と同様にネタおろしとは思えない完成度の高さでした。
特に後半部分、新吉と甚蔵が激しい雷雨の中で揉み合う部分は、クリストファー・ノーランの世界を彷彿とさせる緊張感と重厚感の連続。柱のような太い雷に逆光に照らし出された登場人物が目に浮かぶようでした。
龍玉師匠は古典落語にほとんど何の入れ事もしていないのですが、そこに明らかな現代性というか、時代に左右されない物語の強靭さを感じさせる。これは芸の力なのかそもそも落語の持つ力なのかはわかりませんが、とにかく次回がとても楽しみです。
あともう一つ感じたのは、この「真景累ヶ淵」では鋭利な刃物によって怪我をしたり殺されたりする場面が毎回あって、聴いていて指先から力が抜けるような、背筋に寒気を感じるような、こちらが痛くなるような気分に度々なるのですが、これは落語(話芸)ならではの感覚ではないでしょうか。
同じ場面を映像で観ても、これと同じ感覚を味合うことはないと思います。ここにこそ落語の醍醐味、そして龍玉師匠の芸の力があるように思います。
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