3、ネタについて

2013年11月19日 (火)

再録:龍玉~雲助「双蝶々」リレー

来月、道楽亭さんの企画で、五街道雲助師匠と蜃気楼龍玉師匠の二人会が行われます。

そのなかでお二人が双蝶々をリレーするそうです。

双蝶々のリレーはちょうど一年くらい前に山野楽器で一度聴いたことがあります。
それがとても良くて、当時このブログに書いたので、ここに再録します。

道楽亭さんの会に行こうかどうしようか迷っている方、どうぞご参考までに。

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2012年12月17日 (月)

今年は蜃気楼龍玉師匠の「双蝶々」を三回聞く機会がありました。

一度目は師匠独演の通しで、二度目は隅田川馬石師匠とのリレーで、そして三度目は昨日の山野楽器での五街道雲助師匠とのリレーでした。

「双蝶々」の通しのような長い噺は、聴く側のコンディションによっても印象がだいぶ違うと思うのですが、昨日の会はどっぷりと噺に入り込むことができました。

龍玉師匠は長吉の少年時代から奉公先で定吉を殺害するところまで、そのあとの長兵衛夫婦が本所の番場に引っこみ、やがて長吉と再会して雪の子別れの部分までを雲助師匠というリレー。
これは非常に素晴らしい構成でした。芝居の配役でいえば、若いころの長兵衛と青年期の長吉を龍玉師匠が演じ、老いた長兵衛を雲助師匠が演じるといった具合で、二時間たっぷり、贅沢な時間を過ごしました。

長吉が広徳寺の境内で女の二人連れ相手にスリを働く場面、畳みかけるような口調で、短いカットをつなぎ合わせた緊迫感のあるアクションシーンを見るよう。
そして腹が痛いと嘘をついて五十両を盗み出した長吉が、おかみさんのくれた手のひらの粉薬をふうっと吹き飛ばす場面は、暗闇の中に白い粉薬が消えていくのが目に映るようで、非常にスリリングでした。

僕には噺家のテクニックの優劣というのは良くわかりませんが、こうして龍玉師匠と雲助師匠とのリレーを聴くと、どちらもそれぞれに素晴らしく、また若いときには若い時の芸の良さが、円熟期には円熟期の良さがあるのだということが感じられて、普通の落語会では味わえないような得難い体験をしました。

2013年11月13日 (水)

お直しのこと

第四回「龍玉部屋」の開催が迫ってきました。
今回は蜃気楼龍玉師匠が「お直し」をネタおろしで口演します。
一人でも多くのお客様に足を運んでいただけるよう、ちょっと「お直し」について思いつくままに書いてみたいと思います。

「お直し」は古今亭志ん生が芸術祭賞を受賞した演目として知られています。
志ん生師匠の「お直し」の音源はいくつか発売されていますが、キングレコードのものが口跡がはっきりしていて、聴きやすく、また完成度も高いように思います。

志ん生は吉原を知っている世代ですので、マクラに自分の経験した吉原の様子を様々に活写するところが聴きどころの一つです。

アマゾンで検索すると、「お直し」は他にも志ん朝師匠、雲助師匠、馬生師匠(当代)のものが発売されています。
志ん朝師匠も廓に間に合った世代ですが、自分の経験談を語るようなことはなく、廓に生きる人々の悲哀に重点を置いています。

馬生師匠はどちらかというと噺を理解するための仕込みとして、吉原の知識を色々と披露します。

雲助師匠は、おそらく今回龍玉師匠が口演するのはこの形をベースにするだろうと思われますが、男と女のかなしさ、おかしさを強く感じさせます。

「お直し」は吉原を舞台に、ダメな男が出てきて、弱いけれども強く生きていこうとする女が出てきて、二人が幸せになろうとする物語です。

吉原がなくなったいま、演じる方も聴く方も舞台となる吉原を知らない状況なので廓噺は厳しいという人がいますが、そんなことは決してありません。
(もしそうだとすれば、誰も行ったことのない宇宙を舞台にした「スターウォーズ」のような映画は厳しい、ということになってしまう)

演者によって演じ方は様々ですが、出てくる男と女はすべての落語に通じるキャラクターであり、つまりすべての私たちの日常に通じるキャラクターであるので、むしろ聴きやすいように感じます。

廓を知らない雲助・馬生師匠よりもさらに年の若い龍玉師匠がどんな風にこの噺に取り組むのか、ぜひ第四回「龍玉部屋」にご来場いただき、お客様のお耳で確かめてください!

第四回「龍玉部屋」のご予約はrakugoten@yahoo.co.jpまで、お名前、人数、ご連絡先をメールしてください。

会の詳細はコチラをご覧ください。

ご来場、お待ちしております。

2013年10月14日 (月)

「茶の湯」について

10月19日(土)に開催される第五回「ザ・菊之丞」では、古今亭菊之丞師匠が「茶の湯」をネタ出ししています。

このネタを聴いたことのない方のために少しだけ解説すると、「茶の湯」は知ったかぶりの曖昧な知識でお茶を始めたご隠居さんと小僧が、周りの人間も巻き込んで起こす騒動を描いた滑稽噺で、先代の金馬師匠の十八番として知られています。

菊之丞師匠は2009年1月に、文菊(当時菊六)師匠、こみちさんと三人で湯島の本牧亭でやっていた勉強会「本牧はなし亭」でこの噺をネタおろししています。

ただ、記憶が正しければ本当のネタおろしは2008年12月のはずで、確か何処かの茶道関係の団体から依頼されてこの演目を手掛けたはずです。

師匠はネタおろしした年に色々な場所でこの演目をかけていますが、その後はあまり演っているのを聴かないので、今回は久々の上演になると思われます。

物凄く珍しい演目ではないですが、寄席や落語会でよくかかるというわけでもない気がします。

季節ものの噺、例えば夏の「青菜」や「船徳」、冬の「二番煎じ」や「芝浜」などは、その季節になると多くの噺家さんがやるので頻繁に耳にしますが、「茶の湯」のような噺はあまり季節が限定されないため、かえって聴ける機会が少ないのではないでしょうか。

私は三三師匠、今輔師匠、一之輔師匠、小権太さん、馬治さんでこのネタを聴いています。
音源としては小三治師匠や権太楼師匠のものが発売されています。

手元の記録を調べていて思い出したのですが、馬治さんの「茶の湯」を聴いたのは一昨年の震災の翌日でした。
末広亭の深夜寄席で、余震が続いていたので、お客さんは少なかったです。
そんな時に落語なんて聴かなければよいのですが、むしろそんな時だからこそ、いつものように落語を聴きに行きたいという気持ちがあったように思います。
高座に上がった馬治さんは、地震のことには触れず、余計なマクラは一切なしで、すっと噺に入ったのが印象的でした。

菊之丞師匠の「茶の湯」の聴きどころは、なんといっても師匠があまりやらない小僧キャラがたっぷりと登場するところです。
師匠の噺に小僧が登場するのは、「寝床」と「幾代餅」に少し出てくるくらいなので、この「茶の湯」で、大活躍する小僧さんを楽しんでいただきたいです。

どちらにしろ、ごくバカバカしくて、いかにも落語らしい、楽しい演目です。
ぜひ「ザ・菊之丞」にお運びいただき、笑って笑って素敵な秋の休日をお過ごしいただけたらと思います。

前売りチケットの販売はチケットぴあで17日までです。

皆様のお越しをお待ちしています!

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お待ちしています!

2012年11月15日 (木)

淀五郎のこと3

古今亭志ん生師匠の「淀五郎」は、これもNHK落語名人選のシリーズに収められています。出囃子の一丁入りが他と比べても実にゆっくりで、出囃子が始まってすぐ、おそらく師匠が出てくる前に、ひとりだけパチパチと拍手をする間の抜けた音が入っていたりして、噺に入る前からわくわくするような音源です。
これは昭和36年10月にヤマハホールで収録されたものらしく、そうだとすると志ん生師匠が脳出血で倒れるわずか2か月前ということになります。
圓生師匠、正蔵師匠のものと比べて、志ん生師匠の「淀五郎」で特徴的なのは、団蔵が厳しい態度で接するのは淀五郎のためなのだと諭す部分で、団蔵を淀五郎にとっての「芸の神様」だとまで言います。「百年目」のような噺もそうですが、じっくりと芸の年輪を重ねた名人が演じると、キャラクターにその演者の気持ちが重く反映されて、それぞれの味を醸し出します。志ん生師匠の仲蔵は、何よりもまず人の恩を忘れてはいけないということに重点を置きつつ淀五郎に小言を言う。そのあたりが古今亭志ん生という噺家の持ち味なのではないでしょうか。
前回も書いたとおり、直木賞作家の山口瞳氏には、志ん生師匠の「淀五郎」について書いた「旦那の意見」というエッセイがあります。氏は仲蔵が淀五郎に意見する部分に触れて次のように書いています。
「私は、これは、目上の者が目下の者に意見をするときのこととして完璧だと思う。
二人だけの話にする。酒肴をもつ。恩義(筋)を忘れるな。芸には「型」がある。褒めてもらおうと思うな、という「心がまえ」。それならば具体的にどうするかという先輩の知恵。喧嘩場では、本当に師直を斬ってしまおうという心意気。」
実に氏の書いている通りで、このあたりに正雀師匠が「師匠が、『この噺は、若い時に演っても駄目だよ』と教えてくださったことが、今になってわかってきました」というその妙があるのでしょう。
ポニーキャニオンから発売されている「古今亭志ん生名演大全」の特典CDに「志ん生 表と裏」と題された、志ん生師匠の日常が録音されたものがあり、中に弟子に稽古をつけている様子が収録されています。弟子はおそらく圓菊師匠のように思われますが、志ん生師匠が稽古をつけるその感じが、まさしく仲蔵を思わせます。
こうして色々と聴いてくると、ますます菊之丞師匠の「淀五郎」がどんな風であるのか気になってきました。早く聴いてみたいものです。

2012年11月14日 (水)

淀五郎のこと2

先代林家正蔵(彦六)師匠の「淀五郎」について、というか正蔵師匠その人について、非常に興味深いエピソードが数多く書かれた本が、うなぎ書房から最近発刊されました。林家正雀師匠著の「彦六覚え帖」です。
この中には前座時代の正蔵師匠が志ん生師匠と共同生活をしていたことや、仲違いをした圓生師匠の芸を実は高く評価していたことなど、貴重な話が多く収められています。
淀五郎については、噺の眼目をどこに置くかということが以下のように書かれています。
「(ある師匠が「淀五郎」は「中村仲蔵」より噺として劣ると言ったが)これは、淀五郎を噺の主人公だと捉えれば、そういう考えになるのかも知れませんが、この噺の芯は団蔵と仲蔵の芸談であり、人生訓だと捉えると、やはりよく出来た噺だと思います。(中略)師匠が、「この噺は、若い時に演っても駄目だよ」と教えてくださったことが、今になってわかってきました」(「彦六覚え帖」より)
ここに書かれているのは正雀師匠の淀五郎観ですが、おそらく正蔵師匠も同じように考えていたことでしょう。なるほど、「淀五郎」を「中村仲蔵」のような、主人公の成長物語として捉えてはいけない。彼を導く二人の名役者の、芸に対する姿勢を描いたものだとし、それを演じるには噺家もある程度の年輪が必要だというのはとても納得できます。
観客の側から言うと、どの登場人物に感情移入をするか、その年齢によって大分違ってくるのではないでしょうか。若い人は淀五郎に自分の悩みを重ねるでしょうし、そうだとしたら思いっきり淀五郎に感情移入した演じ方があっても良い気がします。
一方で部下のある人でしたら仲蔵の姿勢にリーダーシップのあり方を学ぶかもしれません。この仲蔵が淀五郎に意見する部分については、直木賞作家の山口瞳氏が志ん生師匠の「淀五郎」について触れた「旦那の意見」という名エッセイがあります。次回はそのことについて書きたいと思います。
ちなみに古谷三敏氏の漫画「寄席芸人伝」のなかに、この「淀五郎」を意識して描かれたと思われる「若手潰しの万橘」というエピソードがあります。若手真打の桂小米を苛める名人三遊亭万橘の話で、万橘を殺そうと思い詰めた小米を、万橘によって五厘(事務員)にさせられた元噺家の市之助が諭す、という内容です。さらにこの市之助が噺家から五厘に転身するまでを描いた「五厘の市之助」というエピソードもあって、とても楽しめる内容になっています。
ところで前回書いた圓生師匠と正蔵師匠のそれぞれの「淀五郎」の下げの違いですが、これは実際に音源を聴いていただいた方が良いと思います。正蔵師匠の音源もNHK落語名人選に入っています。

2012年11月13日 (火)

淀五郎のこと

この11月中席(11月11日~20日)の池袋演芸場は、夜席のトリを古今亭菊之丞師匠がとっています。初日のネタは「淀五郎」だったそうです。菊之丞師匠で「淀五郎」とくれば、もう聴きたいのなんのって、身がよじれるほどですが、来年の1月22日(火)に麻布区民センターで行われる独演会でネタ出しされているのを発見しました。楽しみです。
さて「淀五郎」のことをあれこれ考えているうちに、もう聴きたくて居ても立ってもいられず、手持ちの音源から先代正蔵師匠、圓生師匠、志ん生師匠、と色々聴き比べてみました。
他にも発売されているものとしては先代馬生師匠のものや、少し変わった形の談志師匠のもの、一朝師匠や雲助師匠の音源もあります。一朝師匠の録音(iTunes Storeで発売)では、マクラで二つ目時代に歌舞伎の笛を吹いていたエピソードが語られていて、非常に興味深いです。
圓生師匠の「淀五郎」はNHK落語名人選のと圓生百席のと二通りあるのですが、やはりライブで録音された前者の方が聴いていて断然楽しいと思います。数多く残されている圓生師匠の演目の中でも、私は個人的にこの「淀五郎」が一番好きです。出囃子と拍手が鳴り終わらないうちにかすかな声で「お暑いなか…」とお辞儀をしている様子が目に浮かぶようで、さらにマクラで芸術座に役者として出演していることに触れるやや嫌味な感じ、そして噺に入ってからの、団蔵の酷薄さ、仲蔵の器量、淀五郎の苦悩を少しくさめに演じるところ、芝居に関するあれこれなど、まるで細部まで精緻に組み立てられた芸術品を見るかのような隙のない構成になっています。
さらにこの音源で何よりも特徴的なのは、この笑いの少ない噺がものすごく受けているところです。笑いどころでないような場所でさえ、観客の笑い声が入っています。これはおそらく演者がものすごく乗っていて、さらに観客が乗っていて、その相乗効果でもって会場に熱い空気ができていたのだと思います。落語に限ったことではないと思いますが、こういう空気になって会場全体が異様な盛り上がりになることがライブでは稀にあります。観客にとって、きっと演者さんにとっても、本当に幸福な瞬間です。この日の圓生師匠の「淀五郎」を聴いたお客さんはとても幸せな気持ちになったことでしょう。
圓生百席の方に収められた音源の、本編ではなく芸談の部分で、圓生師匠はこの噺の下げ方について解説しています。下げ方にいくつかのやり方があって、圓生師匠は自分の採用しているパターンが他のよりも優れていると言っているのですが、実はもう一方の下げのパターンを、圓生師匠のライバルと世間から目されていた八代目の正蔵師匠がやっているのです。次回は正蔵師匠の淀五郎について書きたいと思います。

2012年11月10日 (土)

若旦那あれこれ

「火事息子」という噺は火事そのものがモチーフとなっており、また父と息子の関係も重要な主題のひとつだと書きました。さらにこの噺を若旦那というキャラクターに焦点を当てて考えてみると、他の噺に出てくる若旦那と比べてかなり特異な設定であることが見えてきます。

落語には実に様々なタイプの若旦那が出てくるのですが、細かく分類していくと、まず道楽者なのか、そうでないのかという二つに分かれます。

もっとも落語に登場する大抵の若旦那は道楽者で、「崇徳院」「千両みかん」「擬宝珠」「明烏」などのごく少数の若旦那がウブで生真面目な珍しいタイプです。

そして若旦那の道楽と言えばほとんどが廓通いなのですが、その中でも勘当になるかならないかの二つのパターンがあります。「湯屋番」「船徳」「紙屑屋」「唐茄子屋政談」などの若旦那は女遊びが元で勘当になっていますが、「山崎屋」「干物箱」「六尺棒」「二階ぞめき」「たちぎれ」「菊江の仏壇」などの若旦那は締め出しや謹慎をくらっても、勘当までには至っていません。

さて、若旦那の道楽の多くが女郎買いである一方で、中には「七段目」の芝居道楽や「義太夫息子」の義太夫道楽、また変わったところでは「宗論」の若旦那のように宗教にはまってしまう若旦那もいます。「火事息子」の若旦那もこの変わった道楽のケースの一人でしょう。ただし、前述したように勘当の理由は女遊びが原因であることが普通で、「火事息子」の若旦那のように女遊び以外の理由で勘当になるというのは、他にあまり例がないような気がします。

三道楽「呑む」「打つ」「買う」の「呑む」「打つ」で勘当になる噺はないかと記憶を探ってみたのですが、「親子酒」の若旦那は酔った親父から感動だと言われていますが本当に勘当にはなっていないようですし、博打にはまった若旦那というのもちょっと思い浮かびません。こうして見てみると、「火事息子」の若旦那が非常に特異なタイプであることがわかり、それぞれの演者がどのようにこの若旦那を演じているかに注目して聴いてみるのも、「火事息子」という噺の楽しみ方の一つであるように思います。

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2012年11月 7日 (水)

火事息子それぞれ

「火事息子」の主題のひとつに父と息子の関係があります。

火事が好きで勘当になった息子と、その父とが再会する場面の互いの複雑な気持ち。

特に、蔵の目塗を手伝ってくれた火消人足が、息子だったと知った瞬間の父親の反応は、それぞれの演者がそれぞれの演りかたでもって父親の心情を描き出しています。

三代目三木助師匠は「あの、さっき、あの彫り物だらけでもって、あの屋根から屋根へ、あれが?」と、父親の動揺をストレートに表現しています。

先代の正蔵師匠は「え、え、へええ、徳かい?あれが徳?うちの倅?へえ、変わりゃあ変わるもんだねえ…そうかい」と嘆息が混じり、先代馬生師匠は「孝太?あの馬鹿、あんなとこ飛んでもし落っこったら…」と愛情が怒りになって言葉に出ます。

志ん生師匠のは「へ、徳のやつか、そうか、あの野郎はまあどうも…」と深い哀しみを感じさせ、圓生師匠は「え、あ、藤三郎かい?あの、屋根から屋根へ、あの。危ないことをするじゃあないか」と、屋根から屋根へ飛び移ってやってきた息子の身を思わず心配してしまうという父親の情愛を感じさせます。

中でもっとも変わっているのは志ん朝師匠で、「え、あれが?吉三郎かい?そうか…やっぱりなあ、ふうん…」と、驚きながらもそれが息子ということをどこかで感じていたという不思議な父親の心持を、しっとりと描いています。

勘当になった若旦那が登場する噺は「湯屋番」「唐茄子屋政談」「船徳」など色々ありますが、親と再会を果たすという筋立ては他にないように思います。

おそらく演じる噺家さんの歳によっても、父と息子の距離感に差が出てくるのではないでしょうか。

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2012年11月 4日 (日)

落語の知識、知識の落語「火事息子」その2

前回「火事息子」には、昭和の名人たちによる音源がたくさん残されていると書きました。大抵は25分~35分といった長さなのですが、圓生百席に収められているものだけは46分半という長尺です。ポニーキャニオンから出ている名演集に収録されているものは28分くらいですので、百席の方の音源はかなり長いのですが、それもそのはず、冒頭30分近くが火事の小噺、彫り物や消火組織に関するマクラです。さらにライブ収録のものと違って百席のほうがテンポもゆっくりとじっくり聴かせようという風にやられていて、「北風がぴゅーっと吹いている」の「ぴゅー」までくどく喋っているのが面白いです。ぜひ聴き比べてみてください。

噺の舞台となる場所を、「神田あたり」「神田三河町」と、きちんと説明してから噺に入るパターンもあります。場所はどこでもよいと思うのですが、志ん生版では「婀娜な深川 勇肌は神田 人の悪いは飯田町」という都々逸が入っていることからも、神田というのは勇肌(いさみ)の土地柄で、そこに火消人足が登場するというのは、昔のお客さんにとってはいかにピタリとくる演出だったのでしょう。

ところで、この噺に出てくる若旦那のような火消人足を臥煙(がえん)というのですが、直木賞作家の山口瞳氏は担当編集者に「臥煙君」というニックネームをつけています。氏は歴代の担当編集者にニックネームをつけてエッセイや旅行記に登場させるのが恒例になっていて、このニックネームは編集者の名前(雅延まさのぶ、というお名前らしいです)から来ているのですが、発想の根元には落語からのヒントもあるような気がします。

何しろ氏は非常に落語の造詣が深く(もっとも、ある年代以上で東京生まれの人には、一般常識として落語の知識があるように思われます)、寄席には出なくなった晩年の志ん生を座敷に呼ぶほどの落語ファンなのです(この様子は名著「酒飲みの自己弁護」に書かれています)。直木賞受賞作「江分利満氏の優雅な生活」のなかにも『三遊亭円生さんみたいに「テッ、しかし、ま、ナンダナ、ありがてえやナ」といってヒタイをポンと叩きたいような気持だった』という箇所があり、また志ん生の「淀五郎」について書いた「旦那の意見」という名エッセイがあり、そば屋で先代馬生と相席をしたエピソードがエッセイに収められていたり、さらに志ん朝師匠と交流があったりと、著書を通して様々に落語好きな一面を覗くことができるのです。臥煙というニックネームを編集者につけたとき、「火事息子」にことが頭にあったとしてもおかしくないように思います。

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2012年11月 3日 (土)

落語の知識、知識の落語「火事息子」その1

火事にまつわる落語は「富久」「ねずみ穴」「二番煎じ」など色々とありますが、なかで「火事息子」は火事そのものがメインのモチーフになっている噺であり、江戸の火事事情が詳しく語られます。

寄席や落語会でのべつに聴ける噺ではありませんが、音源では桂三木助、古今亭志ん生、三遊亭圓生、林家正蔵、金原亭馬生、古今亭志ん朝、立川談志と、そうそうたる顔ぶれのものが残されていますし、五街道雲助師匠の録音が2011年にソニーから発売されていて、これはすごく聴きごたえがあります。

たくさん残されている音源の中で、構成が面白いのは三木助師匠と圓生師匠のもの。三木助師匠のは主人公の若旦那が夢を見るシーンから始まり、この型は談志師匠も受け継いでいます。この三木助・談志版もそうなのですが、圓生版は一度火事道楽の若旦那が登場した後で返りマクラというのでしょうか、また噺が地の部分に戻って火事についての説明が入るという、火事のことを知りたい人には至れり尽くせりの内容です。

さらに多くの噺家さんが、この噺をやるときは火事以外に彫り物についても触れます。
これは、かつての火消人足が全身に彫り物をしていたためで、彫り物と刺青の違いなど、面白くて役に立たない知識が満載です。

次回はそれぞれの火事息子の構成についてもう少し考えてみたいと思います。

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